−前 編−

 北海道の最北端「国境の町」稚内から西へ52km、日本海に浮かぶ周囲約60km、面積184kmの丸い小さな島がある。利尻島私はこの夏ここを訪れた。

 利尻島は以前リーシリと呼ばれていたらしく、アイヌ語でリーとは高い、シリとは島という意を表し、合わせて高い島つまり高い山のある島という意味である。もちろん高い山とは利尻山であることはいうまでもないが、利尻山は海抜1718m、高さとしては九州の久住山よりも低く、そう高いとはいえない。しかし、周囲が海であるため登るにはかけ値なしの高さであり、槍・穂高等の高低差よりも高く、洋上からながめるその姿はおそろしく高く見える。又、山が島の中央に位置し弧峰であるため、どの位置からもあおぎみることができ、コニーデ型の成層火山は、姿形の美しいことから日本一の山富士山にたとえられ、利尻富士と呼ばれ、毎年多くの登山者を招いているのである。私がここを訪れたのも、このさい果ての山利尻山を一度は登ってみたいと思ってみたからだ。

S47.8

 素晴らしい夜である。空は晴れ星は満天を埋め尽くし、満月に近い月は光々と輝いている。2列に並んだ36名の夜間登山隊員は次々に見送りの人との出発のあいさつを交わし、意気揚々として宿を出た。私は今までの山の経験をかわれ、リーダに推薦され、36名の山仲間の指揮をとることになったが、リーダといっても北海道の山ははじめてでもあるし、まして夜であるためこれから先一抹の不安を感じる。

 登山口より1合目までは平凡な車道でゆっくりとした登りである。石ころのはいった道はごろごろとして非常に歩きにくい。先頭にサブリーダ後尾に私を配した一行は、白い月明かりといくらかの懐中電灯をたよりに、行く手に浮かび上がった黒々とした巨大な山のシルエットをめざして歩いていた。30分も歩いたろう。車道は切れ道は細くなり、その脇に1合目の標識が立っていた。短いアプローチは終り、これからはいよいよ山道だ。そしてどうやら森林の中に入るらしい。だれかが「熊はいないかしら。」といった。私はとっさに「この島には熊も蛇のいないから大丈夫・・・。」と声をかけた。

 北海道の山で最も注意しなければならいのは熊である。それもひ熊である。私は熊に対する知識は皆無であるが、ひ熊は本州に棲む月の輪熊よりも形が大きく性質もかなり狂暴で、道内の山に3000頭ぐらいは棲息しているといわれる。数日前私が大雪山を縦走した時、黒岳の登山口で熊の注意報が出ていたが、日高山系・トムラウシ・羅臼岳付近では、最近時々出没しているらしく、特に日高山系で起きた某大学のワンゲル部の遭難は記憶に新しい。私は旅行中、偶然にも列車の中で、このワンゲル部の遭難の模様を見てこられた地元のおばさんに出合い、その話しを伺ったが、不幸にも被害者になられたその遺体には、内臓はおろか眼球までもなく、残されたのは骨と皮だけであったそうである。全く聞くばかりでその惨事には目を覆いたくなり、このような惨事は二度とくり返されてはならにので、北海道の山を登山する場合には、事前に目的の山域についての熊出没に関する情報を、営林署、あるいは町役場等に問い合わせ、万全を期したいものである。しかし、利尻島には野生の熊も蛇も棲息していない。特に蛇については、他の土地から持ってきてもすぐ死んでしまうそうである。この島を訪れた蛇使いの興行師が何度もその災難にあって興行できないで帰っている。伝説によると、島の神様が蛇ぎらいであったからだとのことだが、実際は、蛇の棲息に適しない動物学的な理由があるらしい。

 ひっそりと静まりかえった森林の中は月明かりも届かない。懐中電灯に照らされた道だけがわずかな光をみせ徐々に高度を上げているようだ。1人で登ればどんなものであろうか。私はつまらぬ事を考え、皆の後から登っていた。風もなく、北海道の山にしては少々むしあつい夜であるが、隊員はまだ元気いっぱいである。2合目の標識もわからぬままに3合目へ着く。懐中電灯の灯りで時計をみれば23時40分、まだ日の出までは5時間近くあり、中々いいペースである。

 3合目は最初の水場でこれから先7合目までは水はない。この水場は朝になって気がついたことであるが、大変いい水場で、甘露泉と呼ばれ湧水だと聞いている。近くにはシーズン中、コーラやジュースを販売されているが、やはり岩の間から湧き出る水は何物にもかえ難い山の味がする。自分の生名水とも思えてくるから不思議である。しかし、その時は暗くて水場を捜すことができなかったのでそこでの小休止をとりやめ5合目をめざした。森林の中は単調で先程から少しの変化もない。これも色を失った闇のせいであろうか。

 森林をぬけ展望が得られるところで小休止。5合目である。展望が得られるといっても夜であるため美しい自然の色彩は楽しむことはできないが、利尻・礼文・稚内の灯が見える。その一連の淡い灯は、都会をちらつく華やかなネオンの美しさこそないが、島を形どるはだか電球の中に、島の素朴な感情と親和感を漂わせている。私はしばし自分を忘れその灯をみつめていた。


 5合目を過ぎると、次第にハイマツやクマザサが多くなり、足元はゴロゴロした岩の登りに変わり、九折おりの急勾配の道がどこまでも続いている。長官山(1218m)の上には月がかかり光と影の芸術をかもしだしているがこのあたりがこの鴛泊コースの最大の難所で、先程まで元気だった仲間が一人又一人と疲れを訴え、足どりが乱れてきた。私はリーダである以上彼女達を残していくわけにはいかず、サブリーダに命じて他の元気な仲間を先に行かせ、私は彼女達と遅れていくことにした。彼女達の大きなお尻を見ているといかにも苦しそうにゆれている。私は彼女達のゆっくりとした歩調に合わせ、今までのペースについて考えていた。

 山へ登るにも歩行技術というものがある。右と左の足をかわるがわる動かせばいいというものではない。ただ左右の足を動かすことには違いないが、登りも下りもその変化にかかわらず、一定のリズムで動かすことである。しかも足は地面にフラットでなければならない。やたらつま先で速く歩こうとすればすぐにだめになる。しかし、理論的にはそうはいっても実際には中々うまくいかないものである。普通の人間である以上登りは遅くなり、下りは速くなるのが自然であるし、私もそうである。しかしそれを一定のリズムに近づけることによって、疲労が少なく長く歩ける。これが登山する時の最もいい歩き方だとされている。

(後編につづく)

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