屋久島は、周囲100km、面積540kmのほぼ円形の小さな島で、鹿児島港より船で約5時間の海上に位置し、島の中央は九州最高峰を誇る宮の浦岳(1935m)をはじめ永田岳(1886m)さらに黒味岳(1831m)と、1000mを越える峰々が、30座に及ぶ山岳地帯となっている。

 又、山容は、中世層を割って花崗岩が屹立し、極めて豪壮な男性美をあらわし、正に海上のアルプスの威容を遺憾なく発揮してる。

 島は熱帯植物と屋久杉に覆われ2〜3000年代を誇る屋久杉の原生林は、世界でも珍しく、植物は亜熱帯から亜寒帯までの植物が生育している。

S45.8.23(日)

 風の音で目が覚めた。テントの中はすでに黄色い光が漂っている。光でまぶしい目をこすりながら時計を見た。7時である。昨夜雷と風雨に悩まされ、一時は生きた感じさえしなかった私達(当時の学生係の村上君と私)であるが、いつの間にか眠っていたらしい。

 私はシュラフにもぐり込んだまま、まだボーとする頭をさますために、たばこに火をつけて、蒼い煙がテントの外へ消えていくのをみつめていた。いつの間にか昨日の登行過程を思い浮かべていた。激しい雨であった。

 はじめに屋久島の概要について少しふれておいたが、まだ他に忘れてならないことがある。それは、この島は年間降水量8000〜12000mm(山岳地帯)の日本一の多雨地帯であるということである。実際、私達も、この激しい雨の波状攻撃をうけたわけであるが、想像以上のものであった。大粒の雨が滝の様になって落ちてくるといっても過言ではあるまい。

 私達登山者にとって、天候と気温は一番重要な問題である。雨のために予定を変更したり、あるいは断念したりするのはまれではない。屋久島の海岸地帯は、年平均気温20度前後の亜熱帯性気候にかかわらず、山岳地帯では冬季(11月〜3月)ともなれば2〜3mの積雪をみるのもまれでないというから、夏山といえどもすこぶる気温は低い。従って、雨にたたれ疲労のために長く休んでいようものなら、風邪をひくどころか心臓までも止めかねないのである。

 私は寒さに震えながら、ラジウスに火をつけて、今日のスケジュールが書き込まれている登山計画書を取り出した。その一枚の紙の中には、花ノ江河900−920黒味岳往復1020−1100ナゲシ平1110−1240宮の浦岳1300−1410永田岳1420−1500鹿の沢小屋に至る。所要行動時間6時間(休憩時間を含む。)と、以上のような今日の登行コース並びにタイムが記入されている。山での所要行動時間6時間としては、比較的楽な方であるが、私達にとって屋久島は未知の山であると共に、この悪天候を加味すれば、相当のアルバイトを覚悟しなければならない。

 当然そうなると決行の是非が問題となってくる。私達はキスリングから出したガイドブックを開いてコース並びにタイムの検討をはじめ、万一何らかのアクシデントに遭遇した場合の処置を考え、慎重に話し合った。結果、決行と話はまとまったが、それには、せっかくここまで来たんだからという軽い気持ちが多少はたらいていたことはいなめない。

 決まるとなるべく早い方がよい。周期的に来る激しい雨の合間ををみて素早くテントをたたみあげ、キスリングをまとめた。こうして私達は濃いガスが一面にたち込める自然の庭園花ノ江河を後にしたのである。

 道は予想していたように水があふ出て川のようになって流れ私達の登行を大きく阻害している。「晴れてさえくれればな」と、いささかお祈りじみたことをつぶやきながら、かたつむりのようなのろさで歩いていた。すでに衣服をおろか登山靴の中までぐっしょりである。

 20分程歩いたであろうか。岩角をつかんだその左手の方角に目をやれば濃いガスの切れ間から黒味の主峰が見える。この島に来て始めて真近に見る屋久主峰群の一角黒味岳。ガイドブックの案内によれば、「山頂は360度の展望がきき宮の浦から永田まで屋久主峰群を一望に見渡せるのはここだけだ。」と、記してあるが、昨日以来の悪天候とここでいくらかの時間を費やせば、明るいうちに鹿ノ沢小屋まで着けるかどうか、いくらかの不安を交えて、黒味岳は断念し、一路ナゲシ平へ向かった。

 雨足は相変わらず強く、投石に取りつく頃になると一段と強くなり、ポンチョをかけた私達を容赦なくたたきつける。

 私は昨日のぬれた衣服をそのまま着用しているためか、先程より生理現象に悩まされているのだが中々その機会が得られない。しばらくは何も考えずにただ黙々と登ることに専念した。道は傾斜がひどくうっかりすると、スリップしそうで、一歩一歩慎重に体のバランスに気を使いながら登らなければならない。

 どれだけ登ったであろうか。道の傾斜が急に緩くなり、少し広いところに出た。運がいいことに雨もかなり小降りになって来た。私はこの時とばかり素早くポンチョを脱ぎ捨て、肩にくい込むリュックをおろし、サッとあたりのしげみに隠れた。そして、ようやく果たしたのである。

 山用語で俗に「キジうち」と称されることばがある。これは山での用たしを意味し、不衛生極まりないものとされ、敬遠されているが股間を吹き抜ける涼風の感触、山肌との色の釣合、なんとはかりしれぬ絶妙な味がある。

 あまり長い間休憩はとれない。寒いからだ。私達は5分程休んだ後再び縦走路にもどった。どうやら縦走路は投石の主峰をまき気味に走っているらしい。

 黒味岳の大きな山塊は後になり、ガスの薄らぎと共に空の明るさが増し始めてくると、平坦になった縦走路の前方に何か一つポツンと立っているのが見えてきた。近づいてみると、石で造られた遭難碑であった。

 山の遭難といえば意外に春先に多い。屋久島の場合、特にそれが言えるようだ。春になると下界はすっかり暖かくなり、野山は美しい花で彩られ、やがて新緑の季節が訪れる。ところが山では天候さえ良ければ一般の人々が想像するような春山であるが、一旦天候がくずれるとたちまち冬の山へ逆戻りするから油断ならない。屋久島はその差がはっきりしているように思える。俗に屋久島は「月に35日雨が降る」(林芙美子)といわれるが、冬季には(あくまでも山岳地帯での冬季を指す。11月〜3月)それが全て雪に変わるから無理もない。驚異的なものとして小杉谷付近で7〜8mの積雪が記録されたことがあり、学校に通うのも雪洞を掘ったということである。つまり屋久島の遭難は亜熱帯から亜寒帯までの広域な気候帯をもつ特異な気象条件がかもしだした副産物の一つといえるかもしれない。

 私達は自然の偉大さ、恐ろしさをつくづくと思い知らされると共に山男の冥福を祈り、なおかつこういう事故が起きることがないように祈願をこめてそこを立ち去った。

 投石岳、安房岳、翁岳と島の東西に走る主稜線の南面を巻き、いくつかの小さなピークを踏破して11時10分、宮の浦岳山頂へ立った。天気さえ良ければ四方の山々あるいは四方の島々(口の永良部島、硫黄島、竹島、種子島)さらにはもっと先の桜島、開聞岳あたりまで見渡せるだろうに全く残念である。

 しかし山頂に立った時は、たとえまわりの景色を楽しむことができなくても何かいいしれぬ喜びが湧いてくる。重厚な山々、美しい高山植物、あるいは飛びまわる鹿の群れ等を見て感じる喜びを外面からくる喜びとするならば、それは内面からくる喜びである。征服感は言うに及ばず自分の目的を達し終えた時の心の充実感である。苦しかったほど大きく、辛いほど大きい。昨夜のキャンピング、水分を多く含んで重たくなったリュックサック、そして長い登路、これら全てその喜びを大きくするための一つの要素に他ならない。

 私は山を始めて4年になる。私が有明高専に就職してから間もなく、同じ電気科の竹下先生に勧められて九重連峰に行ったのが、そのきっかけであるが、それ以来九州を点々としている。阿蘇、九重、祖母、霧島どれをとっても楽な山はない。すべて苦しい山ばかりだ。苦しいからこそ途中色々なことを考える。寒い時には暖かいストーブ、のどがかわけば冷たいジュース、いよいよ体が疲れればやわらかいベッド、すべて人間自然の本能的な欲望であるが、この自分自身の苦しみを克服してこそ登山の姿があり、登山者の姿がある。もしそこに楽に登れる山があるならば、それは私にとって山ではない。そこに苦しみを感じるからこそ山の魅力を感じる。苦しいからこそ山に行き、楽しいからこそ山に行く、これが私の山行きなのである。

 私は心の昂ぶりを感じた。そして村上君に大げさな握手を求めた。彼は笑って応えてくれた。彼も同じ思いであったに違いない。

(完)

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